「ダルムシュタットの美しい町並をぬけ、マリア福音姉妹会本部を訪問しましたが、礼拝堂の厳かなこと、心が洗い清められ、聖餐にあずかり、心から礼拝を捧げることができました。⋅⋅⋅⋅⋅⋅バラの花が咲き、緑の木々や芝生も美しい、キリストの苦しみと復活の園で祈り、水蓮の花が咲く池や噴水に感激し、シスターたちの祈りと汗によって手作りされた園であることを知り、感動に胸は震えました。」

牧師夫人(島根県)

 

「市内見学の時、塔から市外を眺めましたが、敗戦、焼土と化したこの地で、神とユダヤ人に対して犯した罪を十字架として負われたマザー・バジレアと姉妹方は、神の御子、小羊の犠牲を、より深く受け取って来られたと思いました。そして、この信仰を受容された神の御心に思いを馳せました。使徒パウロの証しにあるように、神はご自分の協力者として、姉妹方に対し、ご自身を信じ通す忍耐と自制心を、和解の任務遂行の力として与え、感謝と讃美を、神の御業の成就を確信する力として、与えておられると信じさせられました。」

60代の女性(和歌山県)

 

「もちろん初めての場所だったのに、何故かなつかしい所に帰ってきたような気持ちになりました。『万軍の主。あなたのお住まいは何と麗しいでしょう』の聖句が心に浮かび、胸が熱くなりました。」

40代の主婦(宮城県)

 

「20数年前から本で読んできた『事実』の証人として現地で目の当たりにする恵みは言葉で表現できません。わたしが最も関心があり、身体で体験したいと思っていたことは、『神を崇めること』ということでした。『キリストの御苦しみの園』で時を過ごし、マザーハウスチャペルで黙想しながら、そのことを考えてきました。実際に理解し得た『神を崇めること』とは、神の愛と痛みに対する特別な思いを抱くことでした。神ご自身もまた、いこう場所を日本の中にあって、わたしにも教会にも求めておられる、ということが黙想の中で示されたのです。」

50代の牧師(埼玉県)

 

「主を慕い求めるような切なる願い、どうしても行きたかった『カナンの園』。生ける水の川が流れ、聖霊のそよ風が吹き、主の臨在に溢れるところ、そこはまさにエデンの園でした。」

50代の主婦(神奈川県)

「『主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。』(詩編23・2) からし種ほどの小さな信仰しか持ち合わせていないわたしを、主は憐れんでくださり、マリア福音姉妹会を通して生ける水のほとりに伴われ、生き返らせてくださったと思うと、感謝の思いで一杯です。この記念旅行は、イエス様ご自身が、釘跡のある御手でわたしを揺すぶり続けていらっしゃる、と思わずにはいられない位に印象深いものでした。⋅⋅⋅⋅⋅⋅『カナン』の庭、そこは主の庭だった。主の創造の御業を見る思いだった。もしもわたしが50年前この地に立っていたら、現代の主の御業を想像し難かったのではないか。今、50年前の荒れ地を想像することもできないように。こんなわたしでさえ、主の栄光に圧倒されずにいられないが、当時の若いシスターたちの指先は裂け、その手で廃墟の中から集められたと、チャペルの壁は語っていました。この緑の庭園にどれだけ汗が流されたことか! 生半可な信仰では耐えることのできない汗と涙と奉仕の数々が、主に捧げられた祈りであり、賛美と主のなされた御業に湧き上がる喜びの声となったであろう。⋅⋅⋅⋅⋅⋅この『カナン』への旅は、いよいよ主を愛し、全き従順をもって主に従う道しるべとなりました。それは、マザー・バジレアの言われている悔い改めの小道でもあります。感謝します。」

60代の女性(埼玉)

 

「今回の訪問に先だち、わたしはマザーの本を6冊読みました。とにかく本に書かれているような現実を、この目で見たいという願いがありました。確かに神の現わされた奇跡の数々がありました。緑したたる広大な敷地に、小鳥が鳴き、泉はあふれていました。けれどもわたしの最も感銘を受けたのは、シスター達の姿でした。いつも微笑みを絶やさず、静かでしかもその目は輝いておりました。それは生きた証人でした。賛美の美しさ! ここに『神は生きておられる』のを感じました。これさえ分かれば他はどうでもいい?とまで思いました。マザーは『キリストの花嫁』(自叙伝)という本を書かれましたが、わたしは男だから花嫁にはなれないよ?なんて妙な理屈を考えたりしたものですが、神様の限りないご愛に答えるには、自由意志による主へのひたすらな愛、これこそ主の最も喜ばれることでありましょう。」

70代の実業家(東京)