2000年や2003年に行われた「キリスト受難劇鑑賞の旅」の中で、ナチス・ドイツ最初の強制収容所(1933~1945)の跡地を見学しました。以下は、参加者の感想です。

 

「ダッハウ強制収容所見学。修学旅行の大勢の高校生達と一緒でした。当時の悲惨さがそのまま残されていました。人間が人間に与えた残虐の歴史を直視し、率直に伝えんとするドイツ民族の悔い改め、魂の聖めを深く覚えさせられました。日本の不十分さを思われました。収容所内に建つカルメル会教会で礼拝に参加、感謝。『きょうわたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供達に繰り返し教えなさい』(申命記6・6)」
70代の男性(千葉県)

 

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「今回のコースに『ダッハウ』が組まれていたのには非常に関心があり、期待していました。戦争の無謀と罪責・犠牲の責任を担い、世界の平和と和解の福音のために立ち上がった姉妹会にとって、過去の事実を直視することが出発点であり、同胞の罪を自らの罪として告白し、悔い改めることが何よりも大切であったのです。同じように戦争責任を問われてきたわが国とわたしたちの教会はどうか、を考えさせられました。(中略)ドイツの歴史教育も、ダッハウのあの青少年の見学・学習の多さと真剣さをかいま見て、圧倒されました。貴重な広島・長崎の記録は、被害者の視点から学ぶことができても、深く掘り下げなければ加害者の視点から戦争の罪を学ぶことはできません。更に言えば、戦後息を吹き返して成長してきた教会とわたしたちキリスト者は、この点で責任を少しでも果たしてきたのでしょうか。今改めて、これから何を為し、次の世代に何を伝えていかなければならないかを、教えられたように思います。」
60代の牧師(秋田県)

 

「ミュンヒェンの西北、緑豊かな郊外にあるダッハウ強制収容所跡に着いて、はじめに追悼祈念資料館の展示室で、ナチス台頭から収容者、ユダヤ人迫害の文書、写真、模型など順番にシスターの説明を聞く。日本で見るのと違って現場で見る迫力、強く胸に迫るものがあった。ドイツの中高生が多く見学に来ていた。自国が犯した二十世紀の歴史に対する峻厳な再確認を通じ次世代への教育のあり方について、日本と差異を感じたのは、わたし一人ではなかったと思う。収容所跡に隣接するカルメル修道院の礼拝堂での祈り、シスター・オリビアが『立ち帰って生きよ』(バジレア・シュリンク著)という本から『ドイツでは大変重い罪がわたしたちクリスチャンの上にのしかかっています……』と読まれ、それに深く心を打たれた。」
70代の男性(横浜市)

 

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「ダッハウの強制収容所の見学では、無惨な展示品や写真に当時の悪名高い収容所であったことを知らされ、愕然としました。居住跡地の基礎部分が広大な跡地に残されており、第26棟は、司祭棟として聖職者が収容されたバラックでした。隣接のカルメル修道会で礼拝が行われた時も『わたしたちの国が犯した罪をお赦し下さい』と深く祈られ、謝罪されるシスターのお姿に胸が熱くこみ上げてくるのがありました。収容所跡地を保存して後世に伝えるドイツの人たちの平和への思いが日本に比べて、すごいものがあると知って、日本のわたしたちも過ちを犯してきた罪を隣国や東南アジアの方々に謝罪とつぐないを早くしなければと痛感いたしました。」
60代の女性(三重県)

 

「ダッハウ強制収容所で自分の国の恥部とも言える施設を観光客に公開するドイツの国民と日本の相違を教えられました。戦争は如何なることがあっても二度と起こしてはなりません。」
70代の男性(東京都)

 


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ダッハウ強制収容所跡地にある「和解の教会」(プロテスタント)の 入り口にある謝罪の碑文(独語・英語)

 

「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中から わたしに向かって叫んでいる」
創世記4・10
「神よ、わたしを憐れんでください、御慈しみをもって。深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。
あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています」
詩編51・3、5
わが国がこの地において、ユダヤ人やその他
多くの国々の人々に対して加えた
計り知れない 苦痛を覚え、
その重い罪を心から謝罪します。
マリア福音姉妹会、
ダルムシュタット、ドイツ