Ready for a bike trip

 

Mother Basilea and statue of St. Francis

 

Brothers visting with friends

「『カナン』には、ブラザーもおられるのですね!知りませんでした!」
と、たまに言われることがあります。そうです。1967年から兄弟会が存在します。


わたしたち兄弟会が「カナン」の共同体の一部となってから40年以上がたつのですが、小さな群れにすぎず、どちらかというと「カナン」の外部での奉仕がそれほど多くはないため、あまり知られてはいません。姉妹会創設から20年のちに、神は兄弟会の併設へと導いてくださり、

1967年12月1日、初代ブラザーたちの入会式が行われました。それ以来ドイツをはじめ、数カ国から来たわたしたちは、「カナン」の地に住み、働いています。

フランチェスコ! このアッシジ出身の素朴な男性には人の心を引きつける大変な魅力があります。マザー・バジレアは、兄弟会ができる何年も前から、彼の霊性から大きな祝福を得ていました。後年、彼女はこのように書き記しています。「わたしは、フランチェスコの人柄、性格、そして生涯の中に福音の核心を見いだした。それは、聖書の中で、『心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。』(マタイ18・13)『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。』(マタイ11・25)と語られている核心である。アッシジのフランチェスコの、人を引きつけてやまない幼子のような純真さと謙虚さに触れ、わたしは深く心を動かされた。彼のイエスのための力ある働きは、すべてそれらに根ざすものであった。フランチェスコの生涯を通して知った悔い改めから生まれるイエスへの燃えるような愛と、すべての喜びの源であるイエスとのきずなは、わたしの心をただ一つの願いで満たした。イエスをもっともっと愛したいという願いで⋅⋅⋅⋅⋅⋅。」

「カナンのフランシスコ兄弟会」として、わたしたちは「カナンのルール」に従って生きるように召し出されています。そのルールの基盤になっているのは、イエスの次の呼びかけです。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」(マタイ4・17)わたしたちが目指しているのは、共同体の日々の歩みの中で神の国が実現し、それによって三位一体の神の栄光がたたえられることです。同じ場所で一日中共に暮らしている共同生活こそ、まさに兄弟愛を学ぶための理想的な主の訓練の場となります。ブラザーの一人ひとりは、それぞれ、神とより深くつながることができる生活を求めようとする一方で、共同体の祈りと礼拝の場に参加します。毎日、イエスの御苦しみと死と復活を覚える「3時の祈り」は、わたしたちが常にイエスの内にとどまるのを助けてくれます。更に、シスターたちや訪問客と主日礼拝を守り、共に主の聖餐にあずかれることは大きな恵みとなっています。

最初にブラザーたちが入会した頃、「カナンの地」の建物や庭園などは、ほぼ完成していたのですが、入会以降はわたしたちが、建物と土地の維持管理の責任を担ってきました。加えて当初から、「カナン」で開かれる修養会や外での集会、大会などで奉仕してきました。このようにして、わたしたちブラザーにとって、共同生活の中で得た霊的な経験を分かち合うことは大きな喜びです。今日、定期的に開かれる男性向けの集いを担当し、またカウンセリングを求める男性訪問客のお世話をするのもわたしたちの役割の一つです。シスターたちと協力して働くにあたっては、特に電気技術関係や園芸、創園、大工の仕事、また自動車のメンテナンスのノウハウをもっていることは、喜ばれています。しかしながら、外からは見えないことですが、何よりも大切なのは、自分自身の祈りの生活です。聖霊の導きを知り、それに心から従っていくうちに、わたしたちは霊的に成長していくのです。

わたしたちの生き方は多くの面において、時代の風潮から外れており、世の中の基準からみれば、誇るものは何もありません。それよりもむしろ、ますます神に用いていただける「通り良き管」となりたいのです。わたしたちの切なる願いは、「初めのころの愛」をもってイエスに従い、イエスを愛する者として男性でありながらキリストの花嫁に属するということはどういうことかを、身をもって知ることです。

ですからわたしたちは、日々、神の臨在の中に生き、徹底的に天の御父に依り頼んで生きることを目的としています。神がわたしたちの生活のすべてに関わっておられることを証ししたいからです。神は生きておられ、わたしたちをお造りになり、世界の始まる前からのご計画に従って、完全な者にすることを望んでおられます。これは主を愛するすべての人々に対する神のご計画なのです。